PEDによるドーピングの否定の論拠というのは
1 選手の健康被害を未然に防ぐため
2 特定選手(特に経済的有利な選手)へのアドバンテージを避け公平性を確保するため
3 ルール違反だから
というところです。それぞれの点にツッコミどころがあるわけですが、今回はまずPED以外の人為的なアドバンテージ、用具やトレーニング方法、または栄養補給などについて考えてみて後日のPEDの当否への前段としてみようと思います。
3に関しては後日議論したいと思うので今回はさらっと「じゃあルールが変わればいいんだね?」とだけツッコんでおくにとどめましょう。
今回は2の問題を中心に考えてみます。PEDの否定の論拠として2は実に弱いと思うのです。新興スポーツはともかく、プロでビッグビジネスとなっている競技や五輪に採用されるようなスポーツになると科学に裏打ちされた特殊トレーニングを積まないと上位に食いこむことはもはや不可能と言って差し支えないんじゃないでしょうか。五輪と言ってもいまはトランポリン競技やBMXなんていうのもありますから一概には言えないものの五輪の華と言えるメインの種目でスポンサー(国家扶助含む)からお金をもらってトレーニングをしないで勝てる種目があるんでしょうか?ビッグビジネスとなっているメジャープロスポーツで圧倒的な素の才能と伝統的な練習だけで勝てる種目がどれほどあるんでしょうか。
例えばですが高地トレーニングというのを考えてみます。高地トレーニングという発想自体は自然環境から学びさらに科学的に証明されて一般化したトレーニングですね。ではトレーニングに適した高地のない国の選手はどうするかというと遠く海外遠征するということで実現が可能でした。これだってすでに2のお金の問題に抵触するはずですが、まあそこは問わないでおきましょう。では高地をシミュレートした低圧低酸素施設でのトレーニングはどうなのか?というのはどうでしょう。日本やアメリカならできます。そんな施設へのアクセスがない選手は世界中にいくらでも発生してしまうんでうがこれはOKなんでしょうか。もっと言うと選手の血液性状や適応能力測定によりどれほどの低酸素がその特定の選手の能力向上に最適かを判定できるようになっているんですが、そういうテクノロジーを利用して効率的に酸素を減らし、低圧室内で運動能力を高めるのはOKでしょうか。これは2の理由でのPED否定と構造的にどこも違わないように見えます。ルールで禁止されていないので3はクリア。1の健康被害の可能性については当面はないと思われますが長期の影響はわかりません。だとすると副作用の報告がほとんどないと言えるHGHの投与と事情が変わるとは思えないわけです。なぜ低圧低酸素施設はよくてHGHはだめなんでしょう?その差は唯一3の「現行のルールに触れるから」だけなんですね。先にツッコんでおいたとおりじゃあルールが変わればいいんだね?ということになります。
最新テクノロジーを利用してのスポーツ能力の向上の例はいくらでもあるわけです。一時期話題になった水泳の水着もそうでした。あの場合は一部の製造業者が先行していたため他社が徒党を組んで反対したというまったく別次元のビジネス的理由もあって排除されてしまいましたね。3の理由を後から加えてダメにしてしまったというわけです。
水着は属人的でないから例としてちょっと違う面もありますので、もう少し属人的な色合いのあるスポーツテクノロジーによる競技能力の例を挙げると、例えば野球の打者や投手のフォームの乱れを定点観測して肉眼ではとても見えない・本人にも感知できない微細な変化を指摘・修正できるテクノロジーもありますね。以前なら個人の試行錯誤でスランプから脱出せねばならなかったのが今はこの技術によって早めの手当ができます。極端な場合成績が落ちる前に修正すらできる。試行錯誤の中でフォームをこじらせ悪化させるような事態は起こりにくいことになります。これだって例えば20年前の打撃の職人から見たらインチキに近いものかもしれないんですね。自分の感覚を頼りに修正していくことだって属人的技術のうち・選手の能力だったはずなのです。それがテクノロジーで属人的な部分を排除できてしまった例です。
栄養補給でもそうです。米代表サッカーチームが盛んにやっていますが、試合開始時刻から逆算して何時間前にコレ、さらに30分前にコレ、量も質も管理された(普通の食事ではない)栄養補給をして試合に臨みます。Pre-game mealと呼ばれています。こういう管理された栄養補給はドーピングではないですが、科学的な根拠をもって最大限効率化された栄養補給法が導入されている特殊なやり方とは言えるでしょう。男子サッカーなら国民の関心の高い他国もお金をつっこんでくるところが多いでしょうから突出したアドバンテージとはいえないでしょうが、女子だとそうはいかないのではないか。米国女子サッカーにとっては2のお金を背景にしたアドバンテージと言えます。
だからどうだというとですね、2を理由にPEDを否定するのは詭弁ではないのか?ということが言いたいわけです。ここをまず次回以降のポイントとして押さえておきたいかなと思い一項を設けてみました。