MLB Seattle Marinersの社長が失言から辞任に追い込まれています。日本関連で言うとHisashi Iwakumaの英語がひどくて、高く付く通訳のカネを払うのが嫌だった、Iwakumaは通訳を通じていることに安住していて、それに小言を言ったらIwakumaの英語力が向上した、といったもの。

このニュース、最初に聞いたときの個人的な感想は、あーこれを言うとクビになるのかーというものでした。継続的に外国人選手を受け入れることが想定できる企業であるMarinersのトップの発言としては立場上まずいのはそうでしょうし、なんでまたそんなことを外部に向けて聞こえる場で言う気になったのかその辺が不思議ですが(なにかハイになるモノが身体に入っていたかも?)どうあれ炎上。言語能力を理由に外国人差別をしたからNGという話、ということになってます。言い方が雑なのも良くないのでしょうが。

この件を聞いて、じゃあ私が同じことを言ったらどうなるのかな、というのを瞬間的に考えざるをえなかったです。私は日本生まれの日本育ち日本語育ちで英語能力は成人になってから外国語として習得しています。日本で特に中高での義務教育を超えた英語教育は受けてないですし、日本の大学受験のときも英語は比較的弱点科目だったほどです。外国の文化全般は好きで、今このブログの元となっている各種のアメスポが日本で放送されていると喜んで見てはいましたから親和性はある性格ではあったと思いますが。
その後いきがかりがあり長くアメリカに生活することになりまして、いまとなってはこのブログを書く時間を除いたら生活の大半は英語で成り立っているし、意識してるわけじゃないですがモノを考えている際も英語のコンテクストで考える場合が多いはずです。一応日本語でも考えられる状態を維持しています(つもり)ので、それは楽しいです。

で、このクビになったMariners社長の発言がどこがどういう構造で「差別」なのかどうかをちょっとよく考えてみないと私も似たようなことを(言うことはないでしょうが)思ってしまう可能性はあるかもなーというところで考えこんでしまったわけです。

移民の国であるというのがアメリカ合衆国の建国時のモットーだったのが、200余年を経て「これは我々の国、よそ者は入れるな」という人たちがアメリカ国内に相当に増えています。建国時の建前と現実が明らかに乖離してきている。そういう時代背景のある今、外国人差別というのはデリケートで危うい問題です。

外国人差別と、英語能力の優劣は、同一視してはいけないような気は前からしていました。今回差別の対象となったことになったIwakuma選手の英語というのは私は聞いたことがないです。
スポーツ関連が例としてわかりやすいのでそれに沿えば、一般的な感想としてMLBに来ている日本人選手は通訳さんに頼りっぱなしっぽい人が多いように見えるかなーと思うことはあります。これは北米進出している一般企業でも見かけることでもあるでしょう。専属通訳がいない選手なんかだと周りとコミュニケーションがとれてないのではと心配になるようになるベンチでも孤立したように見える選手もいるように感じます。MLBに来たばかりならともかく長年MLBに在籍してもちっとも英語がうまくならなかった選手とかもいますよね。そういう方は学ぶ気があったのかなあと私はふと思ってしまったことは何度かあるのですけれど、もしそれをそのまま私が口に出したらMarinersの社長の発言とあんまり変わらない、ということに今回気付かされて愕然。アレ?この基準だと私は外国人差別する側の人になってますか?という。

発言者の私自身がそれなりに苦労して(一応ここではそういうことにしておきましょう)外国語としての英語を習得してるという事情があるので許されるんでしょうか?それとも許されない?アメリカ生まれの英語母国語のアメリカ人が言った場合は差別でクビだとして、私も同様に差別してることになってアウト?うーんそれは困るなあという。努力して英語が話せる人と、通訳に頼り切りの人、どちらも「平等」に扱わないと外国人差別をしていることになる?それはいったい平等なのか。

いやー考えてなかった方向から自分が知らぬ間に差別する側になってるかもしれない話題が飛んできたことになります。けっこう困りますね。