先日別項でカレッジレスリングに触れました。めったにこの話題になることはないのでこの機会に一度アメリカのレスリングのことを少し書いてみたいと思います。

アメリカにおけるレスリングというのは五輪レスリングとはまったくの別ものです。カレッジおよび年少者まで一般にアメリカで行われているレスリングルールを限定して指す場合はFolkstyleとも呼ばれますが、通常はレスリングと言えばアメリカ独自のそれを指します。1秒フォールで決着が着くことを除いたら五輪レスリング・国際ルールとはまったく違うルールで争われています。フリースタイルで得点となる動きがFolk Styleでは得点にならないので存在しません。ローリングや投げがそれに該当。投げたって良いんですがそれ自体は得点にならないのであまりそうなりません。

個人的な感想ではアメリカのレスリングは素晴らしいスポーツだと思っています。唯一の学校スポーツとして行われる格闘技として特別な地位を持っているとも思いますし、粘り強い体幹などこのスポーツを通して鍛えられる身体能力は他のスポーツでは得難いものがあると思うからです。
冬シーズンのスポーツなので、伝統的に秋にフットボールを、春に野球をやる運動能力のある子で、バスケにはむかないという子たちが冬にレスリングをやるというのは珍しくなかったと理解しています。フットボールの試合を見ていて動きの中で、ああこの選手はレスリングやってたなとわかる選手は珍しくないです。

高校レベルでの男子スポーツで競技者数でレスリングは種目別で7位。資料のある最新の2017-18シーズンの統計で24万人以上が参加しています。増減は年によって違い最新の統計ではレスリング参加者は増加したことになっています。
男子の種目を見ると球技でフットボール、バスケットボール、野球、サッカーの順で参加者が多く、それに加えて陸上やクロスカントリー走までの計6種目の参加者がレスリングより上になってます。ただし後ろの2つは、他の競技参加者のオフシーズントレーニングを兼ねて参加している選手も多いとも言えます。マイナー競技の中では伝統的に地味なのに参加者が一番多いのがレスリング、という位置づけでもあります。人知れずという感じに。

アメリカにおけるレスリングの最も盛んな州はアイオワ州です。北米大陸中央、大都市もない穀倉地帯の目立たないアイオワ州。なぜか伝統的に強い。カレッジで言うとBig Ten所属のIowa大、Big XII所属のIowa State大がメジャー大学として同州に存在します。そしてその所属カンファレンスがNCAAレスリングの中心的な地位も占めます。アイオワを含む穀倉地帯、中西部と呼ばれる地方で盛ん。米国内でかなり参加人口に濃淡のあるスポーツです。田舎州の方が強い傾向が強い。

もう一度繰り返しますがここで言うレスリングを続けていても五輪には決して出られません。五輪に出ていくのはカレッジキャリアを終えた後や(五輪の開催年のタイミングによっては)1−2年間カレッジレスリングへの参加を休止して国際ルールのレスリングに特化転向した選手だけです。
人気球技のようにプロになってカネが稼げるようになる可能性もほぼなく、カレッジスポーツとしての扱いも地味で、五輪で世界一になる可能性もほとんどないのになぜか伝統的に多くの少年が参加するスポーツ。それがアメリカのレスリングなわけです。言ってみればアメスポ随一の筋金入りのアマチュアスポーツとも言えましょう。


ところで先日もコメントで読者の方に指摘していただきましたが、アメリカ人MMA選手でレスリングをバックグラウンドに持つ選手は多い。上で説明した通りTVでは見かけることはなく五輪で注目されなくとも参加者数は伝統的に多かったし、レスリングはとにかく他のスポーツをやっていたのでは絶対に鍛わることのない部分を日常から鍛えるスポーツなのでMMAでその身体的な貯金が見える形で貢献するのは納得ではあります。MMAが後発ながらメジャープロスポーツとしてアメスポ市場に定着したことで初めてレスリングに上位互換のプロの道が拓けたとも言えるのでしょう。純粋なアマチュアスポーツだったアメリカレスリングにある種のプロの可能性を付加したものにはなったんだろうなと思えます。
だからと言ってMMAがやりたいからレスリングを始めたという子がどれほどの割合を占めるかというと、どうかなという気もしますが。


レスリングの身体能力の高さの現れとして私が知っている現象としては、MMAのひとつ前の段階と言えるグラップリングのアマチュア大会ではしばしば「レスリング経験者」と「レスリング未経験者」を別ディビジョンに分けて競技を行うというのがあります。レスリングを知らないでグラップリング教室や柔術教室に通う選手がどれほど関節技を知っていても、体重移動に長け、身体接触の競り合いの中での強さを身に着けたレスリング経験者にはまったく技をかけられないのです。あっという間に不利な態勢に追い込まれてグラップリング独自の技術をあまりわかってないレスリング経験者たちが勝っちゃうんですよね。着衣の柔術だと道着を掴むことでまだ主導権を取りえますが、グラップリングの技術を競う大会としては実に不本意な試合が次々と展開されてしまうのです。それでレスリング経験者を自主申告で別枠にするという措置をとることがあるわけです。
ディビジョン分けまでするのはさすがに珍しいかと思いますが、米国内の柔道の大会でもサンボの大会でも、ああレスリング経験者なんだなという参加者が非柔道な動きで勝つというのはまったく珍しくない。レスリングが商業的な意味でアメリカでメジャースポーツとは言えないにしても、私的な道場で行われている柔道、グラップリング、柔術、サンボなどに比べたらレスリング経験者の数は桁違いに多くその能力も平均的にかなり高いということになります。

本論とはずれますが関連して一応柔道側のことも書いておくと、アメリカでも柔道の広域大会になればアメリカ国内でマイナーながらも研鑽を積んでいる柔道選手にお目にかかる機会はあり、そういう選手がレスリングでの動きや強さをベースに勝ち進んできた腕自慢選手を畳んでしまうのを見ると、うむうむ柔道の技術体系はやはり意味のあるものだなと納得もして嬉しくもあるわけです。


レスリングが冬スポーツであるゆえに子供の頃からレスリングを学んだ選手はたぶん同じ冬シーズンのスポーツであるバスケを学校の部活動で経験していないであろうことが想像できます。バスケは遊びで誰もがする手軽なスポーツですからレスリングをしているからと言ってバスケをやる機会がないということはありえませんが、逆はあり得る。つまりバスケを子供の頃から部活でやり込んでいるとレスリング的な動きを学ぶ機会が失われるということはありそうです。フットボールとレスリングは両方やってる選手は全米にいくらでもいるけれど、バスケとレスリングは学校内部活では両立しえないので。