8月、アメスポNo. 1ジャンルであるNFLのキャンプ、プレシーズンの季節です。各チームのファンが様々な細かいニュースに一喜一憂する時期でもあります。

その時期にColin Kaepernickの話題をやってみようと思います。昨季までSan Francisco 49ers所属でしたが、シーズン後に選手側のオプションを使って契約解除して退団。49ersではこの先も干され続ける、他のチームに移ればもっと機会もあり、後述する国歌国旗抗議問題のイメージ問題も和らぐだろうという読みだったのかもしれません。しかし現実は予想外に厳しく抗議問題が尾を引いて再就職への大きな足枷になっています。

Kaepernickが試合前の国歌演奏の際に起立しなくなったのは昨年の今頃。ちょうど白人警官による黒人市民殺害など人種間遺恨が大いに話題になっていた時期です。現在のアメリカ国家の統治に黒人種としてプライドを持てない、などとして国歌演奏時にベンチから立ち上がらず。その後は片膝を突く形として抗議は続けるものの一定の敬意は表明する形に変えている。さらに2016シーズンオフには起立する、と態度は軟化方向ではあります。49ers内でもKaepernickに同調してKaepernickと共に片膝スタイルで国歌に臨む選手がいたし、他ジャンルでも例えば女子サッカー米代表のMegan RapinoeがKaepernickに同調。ちなみにRapinoeは白人選手です。

非暴力の抗議行動・意見表明はアメリカ憲法で保障された権利という意味でKaepernickやその同調者が罰せられるべきではない、というのが建前なのですが、現実はそうならず。例えばRapinoeが所属する女子サッカープロリーグNWPL Washington SpiritはRapinoeの抗議行動をさせないためにチームに知らせないまま国歌演奏を選手の入場前に済ますという奇手でかわしています。つい先日行われていたTournament of Nations(日本代表も参加)では起立していたようです。

まあ女子サッカー程度の露出と影響力であれば無視する方が、騒ぎ立ててニュースにしてしまうよりはマシというのが反抗議行動側の対処としては適当なのでしょうが、これがアメスポNo. 1ジャンルのNFLだとそうはいかないわけで、そこにKaepernickの災難があります。

Kaepernickが49ersで先発QBの座を追われたのは成績もぱっとしなかったこともあってそれ自体を差別行為・違憲行為だと糾弾することはしにくいですが、このオフシーズンの再就職でKaepernickが味わっている苦難は微妙に問題を感じるところではあります。NFLは現在のアメリカを代表する大衆エンタメであり、その先発QBは各チームの顔であります。Kaepernick以外にも同様の抗議の意志を示した選手は何人もいたのですが、なにやらKaepernickだけがこの問題の焦点とされてスケープゴート化してしまっている。元々フットボールというのは熱心なファン以外はスターポジションの選手ぐらいしか名前を知らないのが当たり前の世界でもあり、抗議行動から1年経ってKaepernickだけが残ってしまったようなことになってます。

オフシーズンにKaepernickを獲得することとしたBaltimore Ravensが、スポンサーからKaepernickを解雇せよと圧力を受けていることが判明したりまだまだ荒れそうです。Baltimoreは首都Washington DCから地理的に近くエスタブリッシュメントの影響力が強いのか、それがどこのチームだったとしても同じような圧力がかかったのかどうかは解りません。Kaepernickが抗議行動を開始した後に行われた昨秋の米大統領選で共和党のトランプ大統領が選ばれたのもこの問題に影を投げかけているかもしれません。オバマ大統領のままならKaepernick行動の賛否はともかく、人種間融合について間接的な援護射撃となるコメントを発して問題を緩和した可能性がありますが、トランプ大統領は警察力の強化統治を公約としていましたからそれはない。ほぼ逆方向に動くでしょう。国旗・国歌への敬意は国家統治・統合の上で重要だという意見はあって良いのでどちらが良いとか悪いとかではないですが、それがKaepernickへの憎悪または社会的抹殺として顕在化するのはいかがなものかとは思います。能力の問題ではなくKaepernickは多くのNFLバックアップQBを上回るというのは大方の関係者の見方であり、再就職ができないのはひとえに社会的圧力が理由であろうかと思われます。

人種差別の問題であればNFL選手会が介入するべきものですし、過去も様々なバックアップ活動があったものですが、なぜか今回の問題では選手会の動きはほぼ皆無。どうなんでしょうか。人種問題への抗議行動だったのが、(法的には成立しないはずの)不敬罪があったかのように問題が変質しているのも気になるところです。