NBAがお休みの間にアメスポの他のジャンルが比較的おとなしかったわけです。その間にスポーツ専門局各局はなにを放送していたかというとスポーツを通じた人種隔離や融合の歴史の番組が制作放送されていました。毎年2月はBlack History Monthとされて黒人種の社会的解放についての各種の催しやTV番組が多い。NBAでもBlack History MonthのTシャツを全チームが着用していた週がありました。

その各種番組の中で一番良かったなと思ったものを元に少し有色人種のスポーツ進出そして社会進出への歴史の一端に触れてみたいと思います。素材はJesse Owens。1936年に開催されたベルリン五輪で陸上競技で4つの金メダルを獲得した黒人選手です。種目は陸上100m, 200m, 4x100mリレー, 走り幅跳びの4種目。いまで言えばUsain Bolt並のスーパーアスリートということになります。

一般に歴史的な視点では1936年ベルリン五輪はヒトラーによるナチスドイツの宣伝となった五輪であった、という評価がなされることの多い大会です。アーリア人の優秀性を世界に示す機会として準備され、結果としてもメダル獲得総数、金メダル獲得数ともに2位アメリカを引き離して勝利しています。

それをJesse Owensという切り口で見直すとまた違う側面が見えてくるわけです。当時の記録フィルムをふんだんに使い、現在も存命の同五輪のアメリカ人参加者たちの証言もまじえてOwensの勝利とその勝利後の取扱いなどに光を当てるものでした。Owensが100mの勝ったレースは中盤からスピードをあげ続けるOwensが他の選手たちをごぼう抜き。他の選手たちと違って首がまったく動かない鋼の姿勢で100mを走りきり優勝。当時のフィルムには音声がないのでスタジアムを埋めたドイツの観客の歓声はありませんが映像を見る限り黒い肌の選手の快走に熱狂的に拍手をしていたようです。また走り幅跳びでは2位となったドイツ人選手と最後のジャンプを終えてすぐに肩を抱き合い健闘を讃え合っている姿が残っています。ドイツ選手の祝福に遠慮がちに手を差し出すOwensの姿。その祝福が形だけでないことを察して祝福を返すOwens。80年前の五輪でもそのようなスポーツマンシップが確かにあったのだと映像は知らせてくれます。ちなみに表彰台での映像ではその二人とともに日本人選手も表彰台に上がっていました。田島直人さんという方だったようで、三段跳びで世界記録で同五輪金メダル獲得。陸上競技で日本人選手が活躍していたのはなにやら誇らしいものを感じます。

我々後世の人間にとってはナチスドイツは唾棄すべきものとして当時のドイツを全否定すべく歴史観が形成されており、1936年五輪についても人種的なプロパガンダであったという総括がされることが多いわけですが、実際のフィルムを見ていると選手も観客も黒い肌の選手への賞賛と敬意が示されているのが興味深いです。

実際、Owensが語ったところによれば(本人は1980年没)ヒトラーはOwensに対して笑みを浮かべながら手を振ってくれたと言います。過去にはヒトラーは肌の黒いOwensを避けてメダルの授与や握手を避けたという説がありましたが、Owens自身はそれを否定しています。対して大会後アメリカに戻ったOwensに対して時のアメリカ大統領であるフランクリン・ルーズベルトはOwensをホワイトハウスへ招くことも電報を送ってくることすらなかったと証言しています。帰国後にニューヨーク市で祝勝セレモニーには招かれたものの当時のアメリカの人種隔離政策・習慣からセレモニーの主人公であるOwensは一黒人として通用口から会場入りさせられたそうです。

当時は一般家庭にはTVはなく、また黒人は普通に家庭・自宅を持つことすら困難だった時代です。当時そのOwensの活躍を映画館の記録映画で見たという老人が番組で語ります。「我々にはフットボールもベースボールもバスケットボールもなかった。ニグロだからプレーさえさせて貰えなかった。でも走ることならできる。目を見開かれる映像だった」と。アメリカの人種融合においてスポーツは多大な貢献を現在進行形でしていますが、その端緒となったのは80年前のJesse Owensだったと言えるのでしょう。