以下、たぶん内容的にまとまりがなくなると思いますが、メモ程度に。Chronic traumatic encephalopathy(CTE)、日本語でよりよく知られている表現としてパンチドランカーの問題を少し考えてみます。日本語での表現でも分かる通りボクシング競技の後遺症として古くから知られている症状ですが、コンタクトスポーツであるフットボールやアイスホッケーでもこの問題がクローズアップされてきています。


NFLでは先週の木曜日の試合でCleveland BrownsのQB Colt McCoyがスクランブル(からボールをパスリリースした直後)に喰った頭部へのヘルメット直撃アタックでフィールド上にノックアウトされたばかり。NFLでは数年前から選手の安全をはかるためにルールの改正が行われてきています。その大きなひとつとしてhelmet-to-helmetのコンタクト禁止があるんですが、今回もそのルールを無視した頭部狙いで突っ込んだSteelersのOLB James Harrisonの餌食になったわけです。Harrisonは過去にもhelmet-to-helmet違反で罰金歴もある確信犯でもあります。そもそもLBなんていうのは最も血の気の多く凶暴な連中がやるポジションですが。

NHLではPittsburgh Penguinsの若きスーパースターSidney Crosbyがまたも脳震盪症状で戦線離脱。先週抜けた当初は念のため数日様子を見るという話だったのが結局無期限出場回避へと伸びてしまいました。Crosbyは2011年1月元旦のNHL Winter Classicで死角から喰った頭部へのショルダータックルでつぶされて以降、何度か試合に出場したものの様々な症状が去らず、2010-11シーズン後半は全休。今季2011-12シーズンも開幕にはムリに間に合わせず調整。11月下旬にNHL公式戦に復帰して、復帰試合で2ゴール2アシストとスーパースターらしく華々しく復帰してみせたんですが、出場8試合、先週症状が再びあらわれて休養、遠征回避。その時点では念のための措置として短期の欠場というニュアンスだったんですが、結局無期限欠場へ。下手をすると若干24歳にしてもうあの華麗なプレーがフルスピードで、フルシーズン見られることはないのかも、という事態まで心配しなくてはいけないのかもしれません。NHLにとっては何十年に一度の救世主的スター選手を既にCTEで失ってしまったのかもしれない。(さらにCrosbyの好敵手とされたAlex Ovechkinの凋落も同時進行中。こちらは別の話ですので今回は省略)


話を端折りますが、殴り合いが本業のボクシングやMMAであれ、副業(?)のNHLであれ、ハードヒットが競技の魅力そのものであるフットボールであれ、選手たちが完全な安全を得られる可能性はありません。それはそのスポーツそのものに完全に内包されているものだからです。本業の格闘技は仕方ないとして、副業のNHLはどうなのか。競技とその危険を分離することは可能なのか。たぶん可能なのでしょう。但しホッケーは人気面で三大スポーツに劣ることもあり、三大スポーツにない売り物が必要なNHLは故意にラフプレーや乱闘を制度上許容しています。反則ではあっても軽い罰則で済ませるという形でそれらの行為を排除していません。そういうNHLの文化基準からするとCrosbyのケースは死角を突かれたタイミングの悪さが結果として大きな障害になったにしても、悪質な事例とは言えない。もっと相手選手を狙ってフルスピードで突っ込むという悪意あるプレーはNHLにはいくらでもあるからです。悪意はないように見えると言ってもなにせ荒い行動を良しとするホッケー選手のやることなので、目前にいる相手(=Crosby)を避けたりはせず、当然のようにショルダータックルかましたという事故でした。そういう意味ではホッケーの文化的な範囲内の事故ではあったでしょう。これを変えるべきかどうかはNHLにとってはけっこう大きな問題です。スポーツのアイデンティティに関わるからです。


NFL Colt McCoyのケースはどうか。まだ事故から間がないためどういう症状が残るかなどはわかりませんが、翌日本人は衝突自体の記憶やそれ以後の試合の記憶がないとのこと。それでも周りが止めずに2プレー後試合に復帰させたことが問題とされています。

脳震盪の場合の試合復帰の手続きはNFLに定められているんですが、これは以前からザル手続きである部分が指摘されいるもの。McCoyのケースのように記憶がない本人が「大丈夫、行ける」と言ったからと言ってプレーをさせるべきでもない。さらに翌週を休むことも「男らしさ」を示すことが重要なフットボールの文化の中では本人は言い出しづらい、というのが過去に指摘されています。ルールで強制的に出場不能にしてやらないと「大丈夫だやれる」と言ってしまうのがフットボール選手たち。それを言わないヤツは周りからふぬけだと思われかねないというリスクがあるからです。これもフットボールのスポーツ文化の問題です。

元々歴史的にフットボールがヘルメット着用になったのは半世紀以上前にフットボールでの死傷者がかさんで連邦政府がフットボール禁止令を発令するかもしれない、スポーツ自体の存続の危機になったことを受けてのことでした。時代を経て頭部保護のために導入されたヘルメットが凶器として使われてさらなる頭部や頸部の深刻な負傷を産むという近年の本末転倒の事態になり、それはマズイということで導入されたのがHelmet-to-helmet禁止、というのがおおまかな流れ。連邦政府が禁止令の可能性をちらつかせた時代も、ヘルメット着用かルールを安全なものにするか、の二択だったのを「安全なルールに守られたフットボールなど無意味である」という意見が凌駕してヘルメット着用で決着したわけです。ここ数年でもより安全を重視するために最も衝突スピードが高いキックリターンを全面廃止にしようという提言が出てきたりもしますが、枝葉のことのように思えます。根本的にフットボールが安全なスポーツになることは難しい。保護具だったヘルメットが凶器に変わってしまったように、安全を優先すればそのルールを逆手にとってスピードを上げて突っ込んでくるオフェンスの選手が増えたら結局選手の衝突スピードが上がってしまうということも起こりうるところだし、どこまで行ってもキリがない。その昔の命題に戻って、そもそも激しい肉体のぶつかり合いのないフットボールにどれほどの意味があるのかというのを問わねばならない。こちらもアイデンティティの問題にいきつくわけです。


予想通りバラバラの内容になってしまいました。が、まあこのままアップしておきます。またこれをたたき台に議論をいつか続けたいと思います。